3.11以後の話④: 原発事故後の動き
- 2018/06/09
- 08:00
●原発事故後の動き
J)この前は身体の症状が出た人は移住を始めたというような話をしたけど、それは事故からしばらく経ってからということになるわね。
だって、症状が出てから気づくんだから。
でも、もっと早くから動いた人たちもいたんじゃない?
S)そうや。
地震があってすぐ原発のこと心配になってすぐ沖縄とか海外に逃げた人たちもいたみたいやろ。
うちらはそれと比べたら呑気なもんやったなあ。
危機感を覚え始めたんは爆発の報道があってから千葉県が放射性プルームに襲われて植物にも異変が現れて。。
J)そんなにすぐ現れたっけ?
S)現れたで。
ほら、部屋の中にあったベンジャミンのつるつるの葉っぱの表面がみんな細かい波打ったようになってしもたやんか。「なんやこれ!?」てなったで。
あと、庭の紫陽花の葉は表面が皺くちゃになったやろ。
事故があって何日かして、たぶん2回目の放射性プルームが雨で落ちて来たころちゃうかな。そうやとしたら21日以降やな。
J)やっぱり大量被曝してから気付いたわけよね。
S)情報のルートある人は早くから対応してたみたいやけどな。
J)そうね。後で知ったことだけど、私たちの近所の方はその日早く帰宅して自宅から出ないように会社に言われたとか。
その人の会社はいつ放射能が飛んでくるか知っていたってことね。
私たちは全然知らなかった…。
S)ああ。これも後で知ったことやけど、オレの職場でも付き合いのあった出版編集オフィスは新聞社からの情報で降り注ぐ日は会社休みにしたって代表さんが言うてたで。
彼女、うちの職場にも危険やいうこと伝えてくれはったんやけど、無視されたらしい。
大きな組織はなかなか動けないんだな~って言ってはった。
うちの職場は高校生とか浪人生が大学受験のための勉強する学校やったからな。ホンマは休みにするべきやったんや。
若い子たち校舎に来させて大量被曝させてしもたわけや。
J)それから後も周りのみんな放射能のことは何もなかったかのようにしていたわね。
何がいやってそれが一番嫌だったわ。
なぜ事実を見ようとしないのかなって。
S)それでもそのままにしてたら自分らの子供も巻き添えにされるからオレたちは黙ってはおれへんかったな。
移住の前には別の意味で動いたで。
J)そう。
私たちは小学生の子供の学校に何回も足を運んで校長先生に申し入れをしたわよね。
S)そうやなあ。そのために福島原発事故以後の空間線量とか土壌汚染とか、チェルノブイリの先例とかいったことに関する資料を何枚も作って持って行って校長先生に説明したんや。
J)でも、あんまり効果がなかった気もする。
S)中には受け入れてくれた要求もあったけどな。
1.「給食の産地表示してくれ」って言いに行ったら、求めに応じて教える言うてはったけど、結局当日にならへんとわからへんかった。事前やないと意味ないねん。
2. 給食の牛乳のかわりに家庭から飲料持参してええことにしてくれって求めたな。これは許可してくれて助かったワ。
3. 5月の運動会中止を求めたけけど、あかんかった。強行された。
4. プール開きのための清掃を生徒にやらせるのを中止してくれ言いに行ったな。例年生徒にやらせてたんやけど、その年は先生がやることにしてくれた。先生には申し訳ないけどよかった。
5. プールを見学にさせてくれって言いに行ったな。これは体調不良いうことにして見学させてくれたで。
6. 秋の日光への修学旅行中止を求めたな。日光は関東でも汚染が激しいところの一つやったからな。でもあかんかった。息子も行きたがってたし、危ないもの食べへんと約束させて参加を許したで。日光で魚釣って食べるいう企画があったんやけど、息子は食べへんかった。
J)息子の友達の親御さんも連れ立っていったこともあったね。そのうちあなた、校長室に入ったら勝手知ったる部屋みたいにさっさと座って話し始めてたし。
S)はは。
あの体験で実感したことはこちらが動かんと何も変わらへんいうことや。動いても変わらへんことも多かったけど、話はしっかり聞いてくれたし、少しは意を汲んでくれはったと思うで。あとで知ったけど、あの校長先生、その翌年は定年退職やったらしい。それもあったんかなあ。
J)だめよ。甘い甘い。
だって、運動会も修学旅行も強行されたじゃない。それにプールは見学しても良いけど評価は0点と言われたのよ。
S)まあそうやな。
それで思ったんや。このままこの土地で学校通わせてたら限界あるて。
J)それもあって、次の年2012年度には中学に上がるからキリがいいし、そのときに転校させようってことになったのよね。
S)そうや。それで検討してあんたの実家のある北海道ってことになって、2011年の夏に北海道の中学を視察したわけや。
J)それまでも中学受験を少し考えていたけれど、受験先を北海道の私立中学校に変えたのよね。北海道の冬場の野菜はどうしても関東や東北の物になってしまうから、給食食材の産地を考えると給食の公立中よりも、お弁当持参の私立中学校に行かせたかった。お金はかかるけどね。
S)で、まずあんたと次男だけ2012年の3月に北海道に移住したんやったな。
J)悪いけどあなたと高校生の長男は仕事や学校のことも考えてからということだったね。
S)ああ。やむをえない緊急措置やった。段階的移住やった。