3.11以後の話③: 原発事故とその後の体調の変化
- 2018/06/06
- 08:00
●原発事故とその後の体調の変化
J)2011年3月11日に地震があって、そのあと原発が爆発して、関東にも放射性物質が降り注いだのよね。
S)そやな。
ちょっと振り返ってみよか。
・3月11日午後2時46分地震発生、マグニチュード9.0
・同午後3時37分ごろ最大津波襲来、全電源喪失
・同日午後6時10分ごろ1号機炉心露出開始
・3月12日午後3時36分、1号機原子炉建屋が白い煙出して爆発
・3月14日午前11時01分、3号機原子炉建屋が炎と黒い煙を吹き上げて爆発
・3月15日午前6時ごろ、2号機が放射性物質大量放出
・同15日午前6時ごろ、4号機原子炉建屋爆発
この一連の爆発で大量の放射性物質が空中に放出されたんや。
それが風に乗って僕らが住んでた関東にもやってきた。
3月15日と21日に大きな放射能プルーム(雲)の流れが関東を襲ってたんや。
特に21日は雨と一緒に落ちてきたから汚染は大きい。
J)千葉県に住んでいた私たちは知らない間にものすごい初期被曝をしてしまったのよね。
S)そういうことやな。
そのあと経験したことないいろんな身体の異変があったで。
まあ、データ的なことは別に自分で調べてもろたらええわけやからここでは置いといて、体験したことだけで話してよければ、爆発があって数日してからオレは喉が痛んで空咳が続いたで。
あんたはどうやった?
J)私はあまりそういう記憶はないんだけど。。
S)そうか。でも、通勤の電車の中はコンコン咳してる人多かったで。たぶんおんなじような症状やなって思ったんや。
それと、同じ3月の仕事の会議中に視覚異常が起きた。
J)どんな?
S)突然視野が歪み始めて視覚の像の形が崩れてきたんや。それで、文書見ながら会議しとったのに、自分だけ何にも対応できへんようになった。しばらくして戻ったんやけど、あんな体験あの時しかないで。
J)それからしきりに眠たがってる時なかった?
S)あった、あった。
それは確か4月になってからやったけど、こうしてふつうに話してる最中とかに突然激しい眠気に襲われてな。それこそ奈落の底に引きずり込まれるような眠気やねん。初めて体験する眠気や。
それ、何ヶ月か続いた思うで。
J)そうよね。話している途中に目をつぶっちゃうんだもの。
会話を中断しなきゃならなかったわね。
S)あと、食卓での定位置が庭を背にするような位置やったやろ。
そこに昼間座ってるときだけ気分が悪くなるようになってな。
夜は雨戸しめるからかわからんけど、大丈夫やったんやけど。
J)庭からの何かが影響していたのかしらね。
S)それと似たのがまだあるで。
6月になってからのことやけど、朝目が覚めて気付いたらものすごい気分が悪くて起きられへんのや。ところがなんとか起きて動き回ってると普通に戻る。
風邪でもないし、なんの症状やったのかわからへんけど、そういうのが何回かあったで。
あと目だったことで言えば、6月の終わりころから頭痛がするようになってな。
一日中持続する頭痛がそれから1ヶ月くらい続いてんで。
個人的には酒飲んだあととか翌日とかに頭痛はあったけど、ああいうのは初めてちゃうかな。
不思議なことに8月に北海道に行ったらその日から治ったんや。
それと、8月に町内のお祭りで地べたに座ったあと左太もも内側に紫斑が何個かできてて焦った。
J)そうね。それは私も見たわ。
S)被曝で血管がやぶれやすくなって内出血しやすくなるて話聞いてたから「キター!」思ったで。地面がやばい証拠やと思うわ。
それより少し前やったと思うけど、電車で隣に座ってるおばちゃんたちが話してるの聞いたら、「昨日私素手で草取りをしてたらこうなっちゃったのよ」って相手に言ってるのが聞こえて、見てみたら両手の甲の半分以上が真っ赤に内出血してるねん。
相手も驚いて「どうしたのかしら」って言うからもう少しで「あんたそれ被曝ちゃう?」て言いそうになったわ。
それ以外にも職場の職員でもそういう人いたで。
J)あと、ぜんそくも進んじゃったのよね。
S)そうや。
もともとほこりのアレルギーで喘息あってんけど、そのぜんそくのアレルギー反応が過敏になったな。
ちょっと本をとるだけでも見えないほこりが立って呼吸が苦しなんねん。
毎日ぜんそくの予防薬使うようになったわ。
J)あと私も経験したアレ、言わなきゃ。
S)ああ、口内血豆やな。あれは2012年にはいってすぐ起きたんや。
J)はじめあなたが何回か「口の中に血豆」って言ってて、何それ?って思ってたら、とうとう私にもできた。驚いたわ。生まれて初めてだもん。
S)ふつうにしゃべってたら「あれ?なんか口の内側にできてきたで」って思ってるうちに、大豆くらいの大きさの血豆ができるねん。
痛くもなんともないのが不思議や。
で、しばらくほっておくとだんだん小さくなってしぼんでいくわけやけど、あんなん初めての体験や。
J)その年の春から私と次男は北海道に移住してあなたと長男が残ったのよね。
そのときに近隣の町に暮らしてたあなたの母に頼んで住み込みで家事をやってもらったら、その母にも同じ症状が出たのよね。
S)ああ。さすがにあれには驚いたわ。
すくなくともうちの一族はもうあそこには住めへんて思ったで。
オレの場合はさらにありえへんこと経験したし。
J)なんだったっけ?
S)歯の欠損や。
前歯の一つが縦に割れた。
J)それ珍しいよね?
その欠片とってあるの?
S)えーそんなんとってへんよ。
とにかく3.11の事故の後、それまで経験したことない症状が立て続けに起こったことは確かや。
これが被曝症状とか証明なんかできひんけど、移住したら症状がなくなったこと考えると無関係とは言えへん思うで。
J)そうね。
そして実際、2014年の4月にあなたも北海道に避難移住。
長男は進学で大阪に住むようになったのよね。
義理の母もそのあと、2016年に岡山に移住したわね。
S)そうや。
岡山はオレの妹夫婦もその前に移住してるとこやったから都合良かったんや。
J)北海道に行って驚いたのは思っていた以上に関東からの避難者がいたことね。
S)そうそう。
しかも、驚いたんは、その人たちがみんな事故の後にオレと似たような身体症状を発症してるねん。
あの当時、官房長官やった枝野幸男が「直ちに影響ありません」とか言うて流行語になったけど、実際は違うねん。直ちに影響が出てたんや。それに気付いた人は動いてたゆうわけや。