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S の ただ今ビサヤ語学習中(1)






〜はじめに〜

ドゥマゲテの人たちが話している地元の言葉はビサヤ語(Bisaya)だ。
彼らは外国人を相手にするときや、多少ともその可能性のある店舗やモールなどでは英語を話すが、そんな彼らも地元の人同士になると突然ビサヤ語を話し始める。
彼らはよくおしゃべりをし、よく笑う。しかし、そういうときに限って彼らが話している言葉はビサヤ語だ。
当然、こちらには何がおかしいのかまったくわからない。取り残された気分になる。

この現状を打開したい!というだけではなく、せっかくビサヤ語圏に暮らしているのだから、地元の言葉を覚えたい!と強く思うようになった。
そこで、シリマン大学教会のつながりで紹介してもらったシリマン大学生のAllenが私のアパートに週に二日、家庭教師に来てくれることになった。
彼女は忍耐強いと思う。私はいつも細かい文法をしつこく質問するのだが、いやな顔一つせず考えに考えて説明してくれる。
ビサヤ語は文法が厳しくなくてあいまいだと言われている。説明に窮すると「それがビサヤ文法というもの」でおしまいとなるのが普通らしい。
それでも、私に言わせれば、言語として成立している限りルールはあるはずだ。
そのルールがわからないと、特定の表現の丸暗記はできても、応用が利かないのだから。それで私は納得ができるまで質問するようにしている。
だが、どんな言語にもそれ以上は説明が無理という地点がある。言い回しが歴史的に形成されていて、現在話している人にも理屈では説明できない地点というものが必ずある。
彼女はそのギリギリまで誠実に考えて教えてくれる。それでたいていのことはすっきり納得できる。ありがとう、Allen!

勉強を始めてまだまだ日は浅いのだが、私は今度は、こうして蓄積されて来る理解を自分なりに整理したいなとか、せっかくだからそれを他の外国人(日本語で書いて行くので日本人ですね)にも伝えたいな、と強く思うようになった。
とはいえ、まだ人さまにビサヤ語講座などと銘打って教えるには程遠い。
せいぜい「ただ今ビサヤ語学習中」としか言えない。
というわけで、それをタイトルにすることにした。
定期的にアップする自信はない。不定期の連載ものになるはずだが継続していきたい。
私がAllenとのレッスンを通して自分なりに理解したところを書いていきたいと思っている。興味のある方はぜひお付き合いいたければ幸いである。

ところでビサヤ語という名前を初めて聞く人もいるだろう。
フィリピンの言語といえばタガログ語(Tagalog)だと思っている向きもあるかもしれない。しかし、そうではない。
そもそもフィリピンは7千もの島々から構成されている群島国家だが、それぞれの島や地域ごとに独自の言葉を発達させていて、言語の種類は100以上もあるという。
そんな中でタガログ語はルソン島(Luzon)のマニラを中心とした地域で話されている一地方語にすぎない。
ビサヤ語はフィリピン中央部の島々(セブ島、ボホール島、ネグロス島東部、ミンダナオ島など)で話されている言葉であり、言語圏の人口としてはむしろビサヤ語圏のほうがタガログ語圏よりも多いとも言われている。
それなのにフィリピンといえばタガログ語というイメージがあるのは、タガログ語が公用語としての「フィリピノ語」のベースとされているからである。
「ベース」と言っても、タガログ語がそのまま公用語のフィリピノ語と同じというわけではない。確かにかつてはタガログ語がそのままフィリピノ語とされていた時代もあったらしいが、現在の「フィリピノ語」は他の地域の言葉も取り入れられているという。
とはいえ、公用語の基本部分がタガログ語とほぼ同一であることはいまだに変わりはないようだ。
そのため、タガログ圏の人々が他の言語圏の人々を小馬鹿にするようなこともあり、大きな言語圏を形成しているビサヤ語圏の人々には面白くない面もあるらしい。
実際Allenは、Tagalog Imperialism「タガログ帝国主義」という言葉を使って反発を示していた。
ビサヤ語圏の人が話す英語について、「発音がビサヤ語訛りで何言っているのかわからない」とか言われるらしい。ほとんど単なるディスりである。
要するに田舎の言葉という感じで一段下に見るということだろう。
そういう事情が関係しているのかどうかわからないが、こちらの地元の人が話す言葉にタガログ=フィリピノ語はない。
彼らは共通語としてのタガログ=フィリピノ語は学校で学ぶし、テレビやラジオはタガログ語で流れてくるものが多いので、タガログ語はもちろん理解はできる。けれど、日常では話さない。彼らが話すのは英語かビサヤ語である。
だから、日本で一生懸命フィリピンの言葉としてタガログ語を勉強して来ても、ドゥマゲテやセブの人々の地元の言葉はわからない。日本の会社から派遣されてセブに勤務する人は要注意だ。

しかし、実はそのビサヤ語そのものも地域によって一様ではない。
先にも言ったが、ビサヤ語は複数の島々にまたがって話されている言語である。しかし、島が異なるということは多少とも相互に隔絶されているということでもある。
そのため、同じビサヤ語でもセブ島で話されているものはネグロス島で話されているビサヤ語とは若干違う。
「ビサヤ語」を「セブアノ語」と同一視している人もいるかもしれないが、セブアノ語はセブ島で話されているビサヤ語だ。
Allenはセブ島出身なのでドゥマゲテのビサヤ語とセブアノ語との違いもわかっていて、ときどき教えてくれる。
ミンダナオ島でもビサヤ語が話されているが、それはセブアノ語ともドゥマゲテで話されているビサヤ語とも若干異なるようだ。
こうした違いは特に語彙や発音に多いようだが、文法にまで及ぶこともある。
私はAllenとのレッスンを始める前は、ダバオ出身の女性によってYouTubeにアップされているビサヤ語講座を視聴していた。しかし、そのビサヤ語は今習っているものと多くの点で違っていることに気付かされた。たとえば未来の表現も違うのである。
Allenによると、それでもビサヤ語圏の人たちはお互いを理解する。
大学にもミンダナオ出身の学生がいて自分たちとは違うビサヤ語を話す。
しかし、その言葉に触れるうちに互いに理解ができるようになってくるのだという。
おそらく、ビサヤ語の文法のゆるさは、そういう背景あってのことなのだろう。
他の地方で使われている表現や文法が自分たちのものと違っていてもそれを受け入れるのである。そうでないとコミュニケーションそのものが取れなくなる。
違いを許し合う言語文化とでも言おうか。
そう考えると、文法のゆるさは相互の違いを乗り越えるための知恵なのかもしれない。

とは言え、その前提にはやはり他の地域ではこう言うけど自分たちはこう言うという違いがあるわけで、その限りでは、ドゥマゲテのビサヤ語を学んだからといって全てのビサヤ語のバリエーションを学んだことにはならない。外国人にとってはそれがやや面倒な点だ。
結局、フィリピンのネグロス・オリエンタル州ドゥマゲテで話されている言語は、フィリピンの100以上あると言われる言語の中のビサヤ語のドゥマゲテ版ということになるわけだが、私としては、ドゥマゲテにみなさんが来ていだだくことを期待して、「ドゥマゲテのビサヤ語」を紹介していきたいと思っている。
(S)

コメント

No title

初めてコメントします。
フィリピンの言語環境はずいぶん複雑な感じがしますね。公用語の「フィリピノ語」がタガログ語に他の地域の言葉も取り入れて形成されているということは,政府が現在の「フィリピノ語」を作ったということでしょうか。この言葉を実際に使用している人たちはいるのでしょうか。質問ばかりですみません。ちょっと興味があったもので。

Re: No title

コメントありがとうございます。「フィリピノ語」ができた経緯を見ると、政府が憲法に基づいて作成を推進し、まだ進化中であることがわかります。
・1930年代(1936と1937)にフィリピン議会設置の研究所によってタガログと英語がフリピンの公用語のベースとして選ばれる。
・1961年にこれがPilipino(ピリピノ)と名付けられる。
・1973年の新憲法と1976年設置の修正条項に基づき、PilipinoをFilipino(フィリピノ)に置き換えることが決定。
 この変更は名称に本来のタガログにはない f の発音を導入したということのようですが、それだけでなく、タガログ以外のフィリピンの言語も含めるという新しい展開を意味していたようです。それは憲法の指示を実現するためです。
フィリピノ語はいまだに広い意味ではタガログ色が強いようで、それ自体憲法違反じゃないかという問題もあり、今後も進化させていく必要があるようですが、それでもタガログを話す人々から言わせればこれはタガログではないという語彙や表現も含まれているようです。
 こうして見るとフィリピノ語は政府主導で作り出された言語ですが、それを実際に使用する言語とし、学校教育にも用いるべしと憲法に規定されているので、机上の人工語ではないとのこと。実際、ここビサヤ語圏でも他の言語圏出身の人々とのコミュニケーションに使われているようです。しかし、人工言語が実用言語として生きているのはちょっと驚きですね。

No title

ご回答,ありがとうございます。
公用語の成り立ちも実に様々なのですね。また,仰るように,「人工言語が実用言語として生きているのは」私も驚きです。

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ドゥマゲテ・レポート

Author:ドゥマゲテ・レポート
3.11以降、色々なことに気づき始めた私たち...
このまま、何事もなかったかのような毎日を過ごしていて良いのだろうか?悩んだ末に、千葉県から北海道に引越し、2017.7思いきってフィリピンに引越ししてきました。北海道に引越しした時も、フィリピンに引越ししても同じように考えている人って居るものです。そして仲間は多ければ多いほど協力して過ごしやすくなるものです。海外で暮らしてみたい人、なかなか思ったように一歩を踏み出せない人に、どうやって私たちが引っ越して来たか、私たちでわかる範囲のこと、特にドゥマゲテとその周辺の情報を発信していきたいと思っています。(J)

J の夫です。2019年3月にドゥマゲテから隣町のバレンシアに引っ越しましたが、ドゥマゲテ周辺ということでブログのタイトルは当面「ドゥマゲテ・レポート」のままでいきます。よろしくお願いします。(S)

*イメージはドゥマゲテから望むタリニス(Talinis)山の夕景です。
*コメントは承認制にさせていただきます。

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