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緊急搬送、その後...⑥ 退院出来ない!


S)前回は、月曜に退院することになってたけど、思いがけないことが起きた、ってとこで終わったわな。それというのは、お金の支払いに関する問題で、結局月曜に退院できへんかったんや。

J)もともと、4月最後の水曜日にポリメディック病院で診察を受けたあと、シリマンメディカルセンターでMRI検査を受けて、その結果を次の月曜日にポリメディックに持っていったら、なんと「即入院!」ということになったのよね。だから、手持ちのお金は念のために用意した11万ペソ(約25万円)しかなかったの。

S)それなりの額は持ってたつもりやったけど、手術と1週間の入院やから、それで足りるかどうかがずっと気になってて、足りなかったらどうやって銀行から下ろそうかと話してたわけや。というのは、オレのサインがないとお金を下ろされへんからや。そやけど、オレが入院している間は外に出ることはできへんやろ。

J)そう。付き添いの私も外に出られない。手術担当のK医師に手術前にだいたいの金額予想を聞いたら、20~30万ペソだろうということで、もしそうなら、全然足りないのよ。

S)それで、息子に銀行に行って引き出しの用紙を持ってきてもらって、オレが必要なところにサインして、それを息子に渡して銀行で引き下ろしてもらうことにしたんやな。ただ、いろいろあって、結局はあんたが息子とチェンジした時に用紙をもらってきたけどな。

J)退院予定日が手術翌週の月曜だったから、前日の日曜の夕方にそれまでの分がどの位か計算書を出してもらったよね。そしたら、手持ちのお金で足りる額が出てきたので、もしかしたら大丈夫?って一安心したわ。月曜は午前中に入院中最後の診察があって、その後退院の予定だったから、一応最後の診察が終わって金額がはっきりして足りないようなら下ろしに行けば良いね、と話していたよね。

S)そやけど、午前中に来るはずの医師はいつまでたっても来てくれへんねん。何度看護師に聞いても、よくわからへんみたいやった。

J)退院予定の月曜日は息子と建設会社の人は朝9:30には到着していたわ。付添人は1人しか入れないので、私は息子と交代して病院の外のベンチで待つことにしたのよ。

S)やっと診察に来たのは12時過ぎやった。その後息子にすぐ会計に行ってもろたけど、13時までは昼休みやった。13時過ぎてもさらにもう少し待つように言われてな。長い間待たされて、金額がはっきりしたのは14:30過ぎだったんや。手持ちのお金のほぼ倍の25万ペソ(約57万円)やった。どうやら前日出してもろた金額には、医者の技術的な費用が入ってなかったらしい。

J)いきなり増えてびっくりしちゃったわ。

S)ふだんならその時間でも銀行に行って間に合うところやったんやけど、この時期はコロナ問題でいつもより早い午後3時に銀行が閉まることになってたから、間に合わへん。つまり、当日全額を支払うことはできへんようになってしもたんや。

J)結局、K医師の予想が正しかったわけで、それを参考に30万ペソを用意しておけばよかったんだけど、正確な金額がはっきりしてからと考えてしまったのが失敗だったわね。

S)息子に、会計の窓口に行って、とりあえず手持ちのお金を支払って残りは1両日中に支払わせてくれへんかってかけあってもろたんやけど、上司の判断が必要ということで答えがもらえへんで、そのうちその窓口の人が会議に入ってしもて、さらに待たされることになったな。

J)今回は朝早くから建設会社の人に車を出してもらっていて、さらに待たせるのが申し訳なくて仕方なかったわ。

S)しばらくして窓口が開いたら、今度はさっきより格上の人みたいで、再度息子が話したら、部屋代は取らないから、退院を一泊延ばして、翌日にお金を調達して払うように言われたんや。付き添いも1人必要と言われて、アンタももう一泊することになったんや。お金を全額支払わへんうちは外には出さへんで、という感じやったな。

J)私たち、人質って感じだったよね。

S)入院が一泊延びても、看護師たちのケアと食事はついてたから、快適やったけどな。

J)翌日の火曜日も建設会社の人は車を出してくれると言ってくれて、ありがたかったね。その日の午前中に、息子と一緒に銀行に寄ってから来てくれたわ。でも、同じ銀行ならどこの支店でも良いよと言ってしまっていたから、最寄りの支店に行ったら、代理人が引き出すときは口座を開設した店舗じゃないとダメと言われたらしく、結局2店舗に寄ることになっちゃってね。手間をとらせてしまったわ。

S)そしたら、こっちには口座を開設した支店から確認の電話がかかってきたで。それで、晴れて代理人の息子の手にお金が入ることになったんや。

J)朝の10時45分、息子から病院到着の連絡を受けて、私はまた交代して外のベンチで待機したわ。ところがここからがまた長かった。11時頃支払いは終了したのに、あなたが病院の外に出て来たのは12時45分だったのよ。

S)安全のために車椅子で外まで送り出してくれたんやけど、その日は退院する人が結構おって、順番があとのほうやったみたいなんや。そやけど、車椅子は助かったで。やっぱりまだ足元が確かではなかったからな。

J)でも、私は、こののんびりした対応には本当に気を揉んだわ。月曜には6時間、火曜には2時間も、外で待たされていたのよ。建設会社の人も同様にね...本当に申し訳ないことをしたわ。

S)そやなあ。フィリピンしとるなあ。まあ、そんなこんなで、やっと家に帰って来れたのはハッピーやった。

J)もう、あなたはお気楽なんだから。でもあなたは8日ぶりの我が家で、よっちゃんと熱~い抱擁を交わしてたよね。

S)ああ。会いたかったからなあ。

J)『あー、これで終わりか、このシリーズ長かった~!』と思った読者の皆さま〜( ̄▽ ̄;)まだ続くよ~。

S)ええ?まだあるんかいな?

J)そうよ。フィリピンの病院事情聞いて下され~。(^◇^;)

S)ええかげん、みなさん飽きとるで〜。





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ドゥマゲテ・レポート

Author:ドゥマゲテ・レポート
3.11以降、色々なことに気づき始めた私たち...
このまま、何事もなかったかのような毎日を過ごしていて良いのだろうか?悩んだ末に、千葉県から北海道に引越し、2017.7思いきってフィリピンに引越ししてきました。北海道に引越しした時も、フィリピンに引越ししても同じように考えている人って居るものです。そして仲間は多ければ多いほど協力して過ごしやすくなるものです。海外で暮らしてみたい人、なかなか思ったように一歩を踏み出せない人に、どうやって私たちが引っ越して来たか、私たちでわかる範囲のこと、特にドゥマゲテとその周辺の情報を発信していきたいと思っています。(J)

J の夫です。2019年3月にドゥマゲテから隣町のバレンシアに引っ越しましたが、ドゥマゲテ周辺ということでブログのタイトルは当面「ドゥマゲテ・レポート」のままでいきます。よろしくお願いします。(S)

*イメージはドゥマゲテから望むタリニス(Talinis)山の夕景です。
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