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緊急搬送、その後...④ 手術


J)あなたが移動用のベッドに移されて、病室から手術室に運ばれるまで、私は一緒について行ったわ。そしてあなたが手術室に運び込まれるのを見送ったのよ。覚えてる?

S)そうやったんやな。上見てるだけやから誰がおるかわからへんかったから…。フェイスシールドとマスクもつけてたしな。

J)手術室はどんな感じだったの?

S)けっこうようけ人がいて、オレはたしか酸素マスクみたいなのをつけられて、上向いて寝てた。エアコンがよう効いてて寒いくらいやったな。もっと静かなもんかと思ったら、みんな声を掛け合ったり、ガチャガチャ器具の音も聞こえてきて、うるさいなあ、って思って目をつぶってた。そのうち、声を掛け合って器具の数を確認してるみたいな様子が聞こえてきて、それを聴きながらうとうとし始めた気がする。

J)麻酔が効いてきたのかしら。

S)わからへん。全身麻酔用の管とかをいつつけたのかもわからへん。酸素をどこから吸ってたのかもわからへん。次に覚えてるのは、ふと目をうっすら開けたら、周りの様子が変わってたってことだけや。さっきまでのガチャガチャした音はなくて、静かになってた。それで、「あ、これはもしかしたら手術が終わったんかな」って思ったんや。誰かが「あ、目をさました?」って言うのが聞こえた気もする。目をつぶったのと開けたのがそのまま連続してる感じやった。眠ってたって感覚はないねん。そやから初めは目が覚めたとも思わへんかった。

J)目が覚めたのはICUだね、きっと。

S)そうなん?手術室で目が覚めて、それからICUに運ばれたとばっかり思ってたで。でも、ようわからへん。ボーッとしてたからな。

J)ICUじゃないかな。手術が終わった、って呼ばれたのはICUだったから。でも、なかなかその連絡が来なくて気を揉んだわ。事前の説明では手術自体は1時間以内で終わるけど、その後の処置に時間がかかるから、8時開始でも終わるのは11時頃かな、ということだったけど、11時半頃Sのランチが運ばれてきても、手術終了の連絡は来なくて心配になっていたわ。


(↑運ばれてきた昼食)

J)もう12時になるのに...何かあった?と不安でいっぱいになっている時、病室のドアが開いて、手術を担当して下さったK医師が入ってきた。K医師は私が英語が苦手なのをご存知で、翻訳アプリを使って日本語で話しかけてくれたの。

K医師)『手術は終わりました。彼はICUにいます。ICUの場所を知っていますか?』

J)『I don’t know.』

K医師)『それなら一緒に行きましょう。』

J)ICUは扉が二重になっていて、厳重な雰囲気だった。それにICUって命に関わるような人が入る所じゃないの?Sは大丈夫なの?


(↑ICUの入口)

J)ドキドキしながら入って行くとガラス張で仕切られた部屋のひとつにあなたが寝ているのが見えたの。あなたは色々なチューブにつながれて、ピクリとも動かず眠っていた。このまま死んじゃうんじゃないかと心配になるくらいだった。

J)翻訳アプリで私も『手術は成功しましたか?』『彼はどの位で目覚めますか?』と聞いてみたわ。初めの質問に先生はニコニコして『Yes.』と後の質問に『about 2 hours.』と答えてくれたわ。

J)その返事を聞いて少し安心して、私はあなたが寝ている間に昼食を取って、夕方からチェンジする予定の息子のために、何か買っておこうとICUを後にしたの。部屋に戻り、1時間位して看護師さんから、ご主人、目が覚めたからICUに行ってあげてと連絡があった。

S)そうやったんや…。

J)それでまたICUに行ったんだけど、あなたは私とひと言ふた言交わした後に「眠い」ってまた寝ちゃったわね。

S)そうか?覚えてへんわ。それがうっすら目を開けたときのことやったんやろか。

J)私は又病室に戻り、夕方から一泊の予定で付き添いをチェンジしてくれる息子にわかるよう、メモを書き始めたの。途中、ベッドのシーツを取り替えに来た人がいて、不思議に思ったわ。朝、手術前にシャワーを浴びた後、シーツ交換してくれて、Sがベッドにいたのはほんの数分だったのに何故またシーツを取り替えるのかな?と思った。ふと気になって看護師さんに「夫はいつ戻ってくるの?」と翻訳アプリで確認してみた。

J)そしたら、『あなたはICUに引っ越さなければならない』『付添人も荷物と共にICUに一緒に泊まらなければならない』と言われてびっくり。シーツを取り替えていたのは新しい病人を迎える準備だったのね。それからひとりで二つのパンパンのリュックと手提げ袋とあなたの靴と、届けられたランチを持ってエレベーターに乗ったわ。

J)ここがフィリピン人のびっくりする所なんだけど、大荷物の私を見かねてか、たまたまエレベーターに居合わせた若い男の人がエレベーターから降りて、ICUの二重の扉を開けて押さえてくれて、助けてくれたの。どうにか引越し完了。

J)それからしばらくして、あなたもまた目が覚めたのよね。今度ははっきりとね。

S)気がついたら確かにいろんなチューブに繋がれてたな。あとで心電図の機械にも繋がれたのを覚えてるで。右後頭部の手術したあたりの表面にそれほどでもないけど痛みがあった。ときどき目の裏あたりに軽い頭痛もした。でも、それより、右後頭部からチューブが出てて、その先に血の溜まったポリエチレンの袋が繋がってたのにちょっとギョッとしたで。あれは弾力のある袋で、ぺしゃんこにして頭に繋いで、元に戻る力で血を吸い出してたんやな。


↑右肩の上にある透明な袋に吸い取った血がたまっていく

J)丈夫な大きいスポイトみたいだったよね。あの袋はその後何度も溜まった血を捨てて、またぺしゃんこにしてたよね。

S)そんなもんが右後頭部にあるから寝返りも打てへんし、ちょっと辛かったな。そういえば、喉の奥、気道が押しつぶされて狭くなったような感覚があって、それも辛い原因やったな。それ、あとで聞いたら、全身麻酔で気道や肺が縮まってるからやったみたいや。あのあと、肺を広げるための薬剤の吸入を何回かやったけど、ある時、思いっきり胸を開いて息を吸ったら気道がバッと開いた感覚があってすごく楽になったんや。

J)ふうん。全身麻酔って身体中の力が抜けちゃうんでしょ。

S)そやから人工呼吸してたはずや。死んだような状態やったんやろな。

J)あなたがはっきりと目を覚ましたとき、私は息子から病院の前に到着したと連絡を受けていて、付き添いをチェンジする時間が迫っていたの。この病院は2人同時に付添人が入れない所が問題で、何かあってもチェンジしたあと息子が困らない様に、予め病室のどこに何があるか、写真やメモでわかるように準備していたのに、直前に引越しがあって無駄になってしまったわ。充分に引き継げないので、ICUの看護師さんに頼みこみ、一時的にふたりが入れるようにしてもらったね。
引き継ぎがすみ、私は暗くなりかけた病院を後に久しぶりの自宅に戻ったわ。

J)ここからは私と引き継いだ息子の話だけど、ICUの中は付き添い人は飲食禁止ということで、息子は16時過ぎにICUのすぐ隣にある大きな部屋でS用の昼食を食べたらしいわ。

S)手術当日の病人に、なんで普通の食事が出るんやろうな。手術当日の朝も普通に出たやんか。あれはあんたが食べたんやろ?

J)うん。ここの病院の食事はとても美味しくていいよね。それにカフェテリアの食事もとても美味しかったよ。

カフェテリア
(↑カフェテリアのショーケース)

J)カフェテリアには二つの店があって、入院中の患者や付添人に必要そうな物が売られていたわ。又、食事は色々な物を選べるようなフィリピンスタイル。テイクアウトで頼むとビニール袋に入れてくれるの。ご飯も日本のお米みたいで美味しかったわ。それにアイスクリームやケーキもあったわ。19時までやっているとの話だったけど、夕方には残り物しかなくて、途中からは昼に夕飯分も買っておくようにしていたわ。

S)息子はオレの代わりに病院の昼食を16時に食べたわけやけど、それでICUに戻ってきたらすぐ夕食が来た、とびっくりしとったな。その夕食は普通食で、結局また息子が食べたんや。

J)息子は月曜、火曜と急にひとりになって家にいたから、たいした食事はとれていなかったみたいなの。だから、バランスの良い美味しい食事にありつけたのはラッキーだったかもね。

S)ICUにいる間はずっと点滴つけてたから、特に喉も乾かへんし、水分をとる必要もなかったんやけど、夕刻になってK医師が来て、もう水は飲んでいいって言われた。翌日になったら「ソフト・ダイエット(やわらかい食事)」は食べていいって言ってはった。胃腸がだんだんはたらき始めるってことなんや。

J)でも、息子が言ってたけど、翌朝も普通の食事がでたんでしょ。

S)そうや。どうもそのあたり連携が取れてない感じやったな。でも、すぐ息子が食事を持ってきた人に言って、ソフト・ダイエットに切り替えてもらったんや。オレはおかゆを中心に食べて、ちょっと硬めのものはみんな息子が食べた。

J)ICUにいる間は、看護師さんたちが頻繁に投薬や体調のチェックをしに来たんでしょ。

S)そうやな。ほんま、頻繁やった。ガラス張りやから廊下からもすぐに見えるようになってて、通りがかりの看護師も覗くようにしてたみたいや。廊下には電気がついてたし、ゆっくり眠る環境ではなかったな。

J)でも、術後の経過は順調で、翌日(木曜)の午前中には元の個室の病室に移れたんでしょ?

S)チューブとかでがんじがらめになってたのが少し外されて、9時半ごろ移動した。それから、お昼を食べて、午後1時頃に確認のためのCTスキャンを撮ったんや。

J)私はそのあと、午後2時ごろに息子とチェンジしたわ。そして、夕食を食べたあと、K医師が病室にやってきたのよ。

S)そうや。それでCTの画像をスマホで見せてくれた。あんなに大きかった右脳側の「血腫」がほぼなくなって、脳がのびのび頭全体に広がってて、喜んでるみたいやった。確認したんや。手術は成功ですかって。そうだという返事やった。

修正版
ビフォー:MRI画像。白い部分が「血腫(血の塊)」。右端に大きなものがあり、脳が押しつぶされているのがわかる。左上にも小さいものがある

術後
アフター:CT画像。血はMRIとは逆に黒く写っている。大きな「血腫」がなくなって、脳が嬉しそうな顔をしている。全体に細長く見えるのは、K医師のスマホを横から撮影したからと思われます
*2枚の画像では切り取った頭の面が完全には一致していないかもしれませんが…。

S)左にも小さい血腫があったんやけど、それも溶け始めていると言ってた。つまり血液になって流れ始めていると。ふつうそうなるとだんだん再吸収されて消えていくんやて。

J)それを聞いて、ほんとにホッとしたわ。

S)それからあとは、病室で主に全身麻酔からの回復を待つことになったんや。その過程で自分にとって大きかったのは食事と便通やな。

J)そうね。あと、どうやって入院費を銀行から下ろすかってこと。でも、長くなったから、それはまた次回ね。




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ドゥマゲテ・レポート

Author:ドゥマゲテ・レポート
3.11以降、色々なことに気づき始めた私たち...
このまま、何事もなかったかのような毎日を過ごしていて良いのだろうか?悩んだ末に、千葉県から北海道に引越し、2017.7思いきってフィリピンに引越ししてきました。北海道に引越しした時も、フィリピンに引越ししても同じように考えている人って居るものです。そして仲間は多ければ多いほど協力して過ごしやすくなるものです。海外で暮らしてみたい人、なかなか思ったように一歩を踏み出せない人に、どうやって私たちが引っ越して来たか、私たちでわかる範囲のこと、特にドゥマゲテとその周辺の情報を発信していきたいと思っています。(J)

J の夫です。2019年3月にドゥマゲテから隣町のバレンシアに引っ越しましたが、ドゥマゲテ周辺ということでブログのタイトルは当面「ドゥマゲテ・レポート」のままでいきます。よろしくお願いします。(S)

*イメージはドゥマゲテから望むタリニス(Talinis)山の夕景です。
*コメントは承認制にさせていただきます。

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