緊急搬送、その後...② 決断
- 2021/05/19
- 08:00
S)診察室に入ると、今回予約し、1月にもお世話になったB医師から、今回は若い別のC医師に担当してもらうと告げられた。C医師は検査結果を見て、B医師に何か話していた。
J)そして、B医師は『入院、手術だね』と言ったんでしょ?
S)そやな。そう聞こえたから、あんたにもそう伝えたんや。そして、B医師はこちらに向かって「入院しなければなりません。手術が必要です」と告げたんや。「いつですか」とオレ。「今です」とB医師。
J)シリマンメディカルセンターのMRIの結果の書類には、「右側を中心に大きな『硬膜下血腫』が見られる」と書いてあったんでしょ。
S)そう。予想通りの展開やった。そうやけど、今すぐ入院、手術というのはいささかショックではあったな。
J)これからどうなるのか、不安なまま、C医師に案内されてERに行ったわね。そこからあなたは病院の入院着に着替えて...すっかり「病人」になっちゃった。
S)いろいろ聞くと、手術を担当するのはさらに別の脳神経外科医のK医師ということがわかった。それと、入院には必ず1人付き添い人が必要やってことやった。あんたに付き添ってもらわなあかんかった。
J)でも、その日(月曜)は夕方から息子がオンラインの授業があり、私は16時には家に着くように帰るつもりだったのよね。授業中のよっちゃんの世話もあるし、食事の準備もあったから。

(↑ERの入口)
S)そやから、今日は付き添い無しでも良いかを確認したんやけど、『代わりの人が来るなら』が条件と言われて困ってしもたな。
J)もしもの時のために最低限の物しか持っていなくて、出来れば帰りたかったけど、代わりの人もいないし、授業中でもよっちゃんの世話は何とか息子に頼むしかないとなって、私も付き添って病院に泊まることにしたのよ。
S)ERで入院の手続きやら、備品のことやら色々聞いて、お昼になったから昼食もベッドの上で食べたな。
J)私も、1月にはなかったカフェテリアに案内してもらって、テイクアウトで買ってERの中で一緒に食べたわ。ERってもっと緊迫した所かと思ったけど、他に誰もいなくてのんびりしていたわ。
S)あんたそれテレビの見過ぎやで。
J)その後、ベッドに乗ったままレントゲン撮影後、3階の病室に向かったのよね。


(↑レントゲン室の様子)
S)1月に入院した時は、かなり奥の部屋やったけど、今回はナースステーションのすぐ隣りやったな。
J)今回も個室だし、ナースステーションの隣りだから便利だけど、ちょっと賑やかだったね。あと道路側じゃなかったから、カーテンのかかった隣りの棟の部屋しか見えず、外の様子はわからなかったわ。
S)この時点ではまだ詳しいことは知らされておらへんかったから、うちらはいつ手術が始まるのかドキドキしていたんやな。
J)でも14時になっても15時になっても何も言ってこないし、心配になって看護師さんに聞いてみたら『まだ手術すると決定してはいませんよ。後で医師が来るから、今後の治療についてはそこで相談して決めます』っていう返事だったんでしょ。
S)そうやねん。「え?まだ手術って決まってへんの?」と一瞬呆気にとられたわ。ドキドキして損したわ。
J)看護師さんに医師はいつ来るのか聞いてみたのよね。
S)そや。そしたら、『いつもなら18時頃に来る』というのでそれを待ったわけや。
J)でも結局来たのは20時過ぎ。もう来ないかもねと話している時だったね。脳神経外科医のK医師だったわ。
S)K医師はシリマンメディカルセンターに行って、MRIの画像を直接見せてもらい、スマホで写真を撮ってきてたんや。おそらくそれで来るのが遅れたんやろ。
J)それを見せてくれたけど、ちょっとショックだったわ。
S)オレもや。頭の右側の半分近くが血の塊になってて、右脳がグニャって押しつぶされたように歪んでたんやからな。血腫があんなに大きいとは思ってもみいひんかった。それと左側にも上の方に小さな血腫ができてたしな。
J)画像を何枚もスマホで見せてもらったよね。そのあとで、今後の治療計画の話になったのよね。
S)今後の治療については、さしあたり何もしないで様子を見る方法と、手術をして、溜まってしまった血を抜いて、圧迫されている脳を元に戻す方法があるとのことやった。そして、手術をするとしたらどのような手順で何をするのかの説明があったんや。その上で、どうするかの決断を求められたんや。
J)事前にネットで調べたら、出血量が少なければ様子を見るとか、漢方薬で治すとかってあったから、必ずしも手術にはならないよね、と話していたのよね。
S)オレもそれで済んだらええな~って思ってた。でもあの画像を見て、考えが変わったな。手術をするかどうかを迷う余地はないと思ったで。
J)K医師は、この手術は安全な手術で、成功率は90%から95%だっておっしゃったんでしょ。私もお願いするしかないと思ったわ。
S)ああ。危険性とかについてはその後インフォームド・コンセントの書類にサインする時に改めて詳しく聞いて確認したけど、こちらの気持ちはこの時決まってたな。それで手術をするという決断をしたんや。
J)急な展開で心配だったのはお金の問題だったわ。手術するとしたら翌々日の水曜日で費用は全部で概算で20~30万ペソ(約46~68万円)位とのことだったから、手元に用意してきたお金では足りなかったもの。
S)銀行窓口ではオレしかお金を下ろしたことなかったし、オレが入院してたら誰が下すねんって話やから。
J)それに、予想していたとはいえ、色々お金が必要な時に30万ペソはきっつい!って思ったわ~。でも何とかするしかないよね。
S)退院後、すぐにオレが銀行行って、下ろしてくれば何とかなるんやないか?それとも明日にでもオレが銀行行ってくるとか...。
J)この提案はもちろん却下されたね。でも、お金を支払わなければ退院はできないし、入院患者は腕に名前や誕生日が書かれたタグをつけられていて、退院までそのタグつけたまま。外出も禁止なのよ。
S)まあ、それは当然の事やろけどな。
J)費用の支払いや付き添いには、本当に助けてくれる、信頼できる人が必要なのよね。病院の薬局に在庫がない薬が必要になったり、私たちの場合はMRIの画像の入手という問題もあったりして、手助けしてくれる人がやっぱり必要だった。フィリピンの人にとってはそれは家族や親戚なんだろうなって思った。フィリピンの人は家族親戚の結び付きが強くて、いつでもみんなで助けあっているんだということをひしひしと感じたわ。みんなそれが当たり前だと思っているの。こんな時、単身で来ている日本人はどうするのだろう、と思ったよ。単身ではないけれど、3人きりの家族で、よっちゃんという手のかかる家族もいる中で、これらのことを私たちはどう解決していったか......続きは次回ね。
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