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参院選と動物と私たちの暮らし①






S)この前、ツイッター見ていたら「やすとみ歩」(安冨歩)ゆう人の演説の様子が出ていたんやけど知ってる?

J)うん、知ってる。馬を連れての街頭演説していた人ね。
 失礼な言い方かもしれないけれど、子どもと馬が好きな女装家?え?東大教授なの?危ない人?って思っていた...

S)最初はそう思う人も多いかもしれへんけど、結構すごい人やで~。
 日本人は「立場主義」に陥ってて、それが生きづらい社会を作ってる言ってはるわ。たとえば、あんたは「男」やからこんなかっこうしてこんな振るまえせえへんとあかんとかゆうのもその1つ。エライのはそれに気づいて自分からそれを打ち破る行動を起こしてるってとこかな。50過ぎてから女装を始めたのもそう。いわゆる「常識」「ふつう」いう枠に縛られへん根本から考えようとしてはると思うねん。そして思考は論理的。
 しかも気骨がある思ったんは、かつて特別会計のことを調べて公表しようとして暗殺された当時の民主党の石井紘基議員の仕事をすごく重視してはるねん。議員になったら石井議員のように国政調査権使って、日本の国家予算の影の部分を明らかにしたいって話してはったで。学者やから緻密に徹底的にやってくれるやろ。
 それでいて根本になにか優しさとか愛みたいなもんを感じる。なかなかおらへんで、そういう人。

J)私も日本の闇を暴いてほしいけど、狙われなきゃいいけど…。
あと、子どもを守ることを社会の原理にするとか言ってるね。それから、動物のいる暮らしを大事にしたいとも言ってる。

S)その点はフィリピンに暮らしてると確かにそれ大事やって思うねん。
 こっちの人はほんまに子どもと家族を大切にするやろ。日本もそうやて言うかもしれへんけど、その大切にする仕方がちょっと違う気がするねん。日本は子どもはこうあるべしみたいは基準があって、その枠からはみ出しそうになったら矯正していく社会やと思う。それは子どもにとって恐怖やし、バッシングや。なにかあったらいつも人を責める文化や。それが「立場主義」にも繋がると思うで。ところがこっちの人見てたら、はるかに子どもを自由にさせるやろ。それでいてあらぬ方向にはみ出るかゆうたらそうでもなくて、どの子も人間に対する信頼感があって友好的で笑顔が可愛い。親は子どもをハグするしキスするし、愛してるゆうメッセージを体で送ってるねん。それがわかるから子どもも大きく外れへんのとちゃうやろか。

J)あらら、あなた、一人でいっぱいしゃべったわね~。まあいいけど。

S)あ、悪い悪い。けどもう少し言わしてもらえば、そういう子どもへの接し方も含めて、子どもを守る、子供を大切にすることってすごく大事なことやと思うねん。不思議なのはそやからゆうて、子どもが増長するかゆうたらそうでもなくて、親を大切にするし親戚も大切にするし、さらに言えば年長者をすごく大切にする。年上の人に挨拶するとき、年長者の手をとって自分の額につける挨拶あるやろ。スーパー行ってもレジで後ろの方に並んでても、シニアの人には遠くからでも声かけてくれて先に行かせてくれるやん。それを若い子たちはぜんぜん嫌がった様子も見せへんで通してくれるねん。つまり、何が言いたいかゆうたら、子どもを大切にする社会は子どもから大切にされる社会でもあるゆうことや。そやから貧困が大きい社会やのに、貧しい子も笑顔がええねん。
 その点、日本は壊れてるで。年寄りは生きてる価値なしみたいな風潮あるやんか。それをメディアが煽ってるわけやけどな。それをみんな真に受けて実践してしまう。バッシングで子どもを育ててたら、いつのまにか今度は自分が年取ったとき若い子からバッシングされてしまう社会。悲しいブーメラン社会や思わへんか?

J)そうね。そう考えると、やすとみ歩さんが言ってる「子どもを守ることを社会の原理にする」って日本にとってはすごい変化かもね。今の日本は山本太郎の言い方だと「生産性で価値が図られる社会」だもんね。

S)そうやな。日本がこんなにバッシング社会になった原因にはそれがあるかもって思ってるで。「生産性」って結局「経済」の話やろ。でも一人一人の豊かさやなくて第一に国や大企業の豊かさと強さが追求されてるやんか。やすとみさんの言い方やと「富国強兵」や。その枠に当てはまらへんものはバッシングや。子どもは「まだ」生産性がない。老人は「すでに」生産性がない。でも、子どもはまだこれから生産性を出せるから教育する。その教育は枠にはめる教育やろ。はまらへん部分は叩いて直すしかあらへんやんか。

J)やすとみさんはそういう枠の中で育ったけど、今はちがうわね。常識に囚われないからなのかな、話を聞いていると東大教授とは思えないような言葉がいっぱい飛び出して笑っちゃった。「学校?税金の無駄です。」とかね。

S)確かに。

J)それと、私は「動物と一緒に生きる社会」っていうのに惹かれるわ。学校やコミュニティの中で馬を飼うことを勧めたいっていうのは面白いアイデアだと思ったわ。

S)そうやと思う。ええ考えや。

J)実際、私たちが住んでいるこのアパートも、表側は幹線道路でかなりうるさいけれど、5月の中旬位までは裏庭にヤギが居て、一日中草を食べていて、牧歌的な雰囲気があって癒されたわよね。ついこの間まではニワトリもたくさんいたしね。

S)ああ。広い敷地があって、そこに生える雑草をせっせとヤギたちが食べるから、庭はいつもスッキリきれいやったし、ヤギの出産はあるし、動物に囲まれた生活っていいもんやと思うで。

J)でも、その裏庭にもうひとつアパートを建てることになったらしく、ヤギもニワトリも別の場所に連れて行ってしまったのよね。

S)ちょっと寂しなってしもたなぁ。残る動物は管理人さんが飼っているらしい犬2匹と猫2匹。

J)でもこれがまた面白いの。
ここのアパート独自のルールがあるのか、わからないのだけど、アパートの住人みんなで飼っているような感じなのよね。管理人さんだけがエサをあげているわけじゃないみたいなのよね。

S)犬や猫もちゃんとわかってて、「残りご飯わけて~な」って何となく訴えてくるような感じなんや。

J)犬たちはいつも敷地内を監視していて、見慣れない人がいると吠えたりして教えてくれるのよ。そんな様子を見ているとかわいくなって、ついついおかずをわけたりしちゃうのよね。

S)地域のみんなで育てる動物やな。単に個人のペットとしてやなくてな。
 やすとみさんが言ってるように、街のあちこちに馬がいれば災害があった時にも役に立つらしいで。車が入れないような瓦礫の上でも重いものを載せて運んでくれる。
 問題はそれを許さへん形で都市が作られてしもてるゆうことやな。都市とはこうあるべし、ゆうデザインが先行してるねん。動物を排除する形でな。それをやすとみ歩さんは「記号化された都市」って表現してはるわけや。たかが愚かな人間の頭の中だけで考えた都市を形にしてしもたから、自分自身動物である人間が生きづらくなってる。これもアホなブーメランや。それを打破する力が動物にあるかもしれへんで。

J)うん。でもね、ネットの中ではだいぶ批判されていたね。「学校で馬を飼うなんて反対!」「誰が馬の面倒を見るの?」「これ以上先生たちに負担はかけられない」「都会に馬がいる暮らしより、ベビーカーや車椅子が安心して通れる社会がいい」「選挙演説に馬を連れて来るなんて動物虐待!」etc、日常にないことをしようと思ったら、色々な声が上がるものだなぁ、と思ったわ。

S)いったん今までの枠を外して考えるのも大切やと思うで。すぐに「そんなんアカン!」言うまえにまず耳傾けたほうがええで。やすとみさんは枠外してるから枠の中にいる人からは反論はあるやろけど、実際に子どもに愛情を感じたり、動物に実際に接してみたら、やすとみさんの言ってることも頭で考えるよりスッと理解できるんちゃうかって思うけどな。

J)そうよね。
 あと、れいわ新選組は太郎さんも含めて全部で10人が立候補してるんだけど、それぞれ熱いのよ。その人たちについても話したいわ。

S)そやったら、今日は長くなったから、続きはまた明日にせえへんか?

J)オッケー。じゃあ、また明日ってことで。


やすとみ歩氏(参院選 全国比例候補)with ユーゴン君(馬)「れいわ新選組:街頭演説会」2019.7.14 @銀座ホコ天博品館前)

https://youtu.be/dg8KVtgyAb4




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ドゥマゲテ・レポート

Author:ドゥマゲテ・レポート
3.11以降、色々なことに気づき始めた私たち...
このまま、何事もなかったかのような毎日を過ごしていて良いのだろうか?悩んだ末に、千葉県から北海道に引越し、2017.7思いきってフィリピンに引越ししてきました。北海道に引越しした時も、フィリピンに引越ししても同じように考えている人って居るものです。そして仲間は多ければ多いほど協力して過ごしやすくなるものです。海外で暮らしてみたい人、なかなか思ったように一歩を踏み出せない人に、どうやって私たちが引っ越して来たか、私たちでわかる範囲のこと、特にドゥマゲテとその周辺の情報を発信していきたいと思っています。(J)

J の夫です。2019年3月にドゥマゲテから隣町のバレンシアに引っ越しましたが、ドゥマゲテ周辺ということでブログのタイトルは当面「ドゥマゲテ・レポート」のままでいきます。よろしくお願いします。(S)

*イメージはドゥマゲテから望むタリニス(Talinis)山の夕景です。
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